タピオカとは
ファストフード店や、コンビニに売られているのをよく目にするようになった
タピオカ
ミルクティやシェーキに入っている。あの粒状のこと。
まだ令和が政府から発表される前、平成から新元号は何に代わるかとマスコミからの質問に東京・渋谷の女子高生たちがこう答えていたと報じられた。
タピオカ元年
このことから僕もタピオカの存在を知ることになったのだがそもそもタピオカとは?
Wikipediaで調べてみると、
タピオカはトウダイグサ科のキャッサバの根茎から製造したデンプンのこと。
さらにキャッサバも併せて調べると
熱帯地域に生育し、イモの木という和名をもつことがわかった。
僕はファストフード店でタピオカシェーキをいただいたことがあるが、もちもちした食感があった。
しかし、そもそもがデンプンなのでいただくときは
ほどほどに。
『インプット大全』を読んだあと
前日のブログで樺沢紫苑著『学び効率が最大化するインプット大全』の書評を書いた。
まだ見てない人は下記のリンクへ。
http://nagaokazu54.hateblo.jp/entry/2019/08/18/221449
その後の変化についてである。
僕の場合、会社勤めをしているので勤務開始のときは、「今日のゴールは何だ?」
と自分の問いを立てるのだ。
例えるならば、片道約60kmある那覇から名護までどう行くか?と問いを立てるとすると、自家用車、バイク、路線バス、と移動する手段が浮かんでくる。
ドライブしたいなら自家用車。
ツーリングしたいならバイク。
ゆっくり旅行気分なら路線バス。
というようにどれを選ぶかが見えてくる。
自分が何をするかによって最適な選択肢が選べるようになるのだ。
選んでしまえばあとは実行するだけ。
定刻で仕事が終えられた!
僕の場合こんな効果が得られたので『インプット大全』読む価値ありますぞ。
http://nagaokazu54.hateblo.jp/entry/2019/08/18/221449
決めては「AZ」って何だ? 〜インプット大全〜
『学び効率が最大化するインプット大全』
樺沢紫苑著、サンクチュアリ出版
精神科医であり作家の樺沢紫苑が手がけた最新本。
2019年8月に発売し、沖縄でも手に入れたので読んでみた。
この本が登場した背景とは?
インプットといえば何が思い浮かぶだろうか、テレビを見る、新聞を読む、スマホでネットニュースやSNSを見る、読書する、と挙げていけるだろう。
しかし従来どおりのインプットでは太刀打ちできなくなっていると樺沢氏は指摘する。
中でも
インターネット上のデジタル情報は、20年前と比べて5,000倍に増えているといわれています。
中略
テクノロジーが進化する今こそ、私たち一人ひとりが「インプット術」の革新を行わなければ、情報のインプットだけでヘロヘロになります。
ていう事態にすでになっているかもしれない。
内容は?
インプットとは何かから始まり、読む、聞く、見る、インターネット、習う、飛躍するに分けられさらにそれらについて詳しくやりかたが書かれている。
さて、本書のp32にて「AZ」というワードが登場する。目次だけでは?となるがこれはとても大事なことで、
アウトプット前提でインプットをする=AZと樺沢氏が表している意味なのだ。
これをすることにより「何となく」読む、聞く、見るより圧倒的に記憶に残りやすくなるのだ。
何故そうなるのかは是非本書を読んでみて。
僕も本書を読んだおかげで当ブログで記事を書いたのだが、書き表わし方が変わってくるのだろうか。
僕をはじめ何かしら書く、読む、見る人が一変する可能性がある一冊。是非読んでみて。
身もココロも
今日は予定していた行事の参加を取りやめた。
会場に到着するのが大幅に遅れ、今から入るのも敷居が高く感じてカラダが動かないというより動きたくなくなってしまったのだ。
もちろん行事の主催者には連絡を入れておいた。
僕はこの後どうしたいか。身体とココロの向きがバラバラになってしまった。
何もしたくない。
鬱状態だった。
しかし、この状態を延々と過ごしても意味がない。
近くのレストランでハンバーグステーキを注文していただいた。
その後僕のココロは回復した。
過去にあることをやらなかった後悔をしたことがある。そのとき別のことをすることで代わりに後悔を埋めていた。しかし埋まり具合は最初の予定していたよりは足りないのだ。
こんなことがあったわけでブログにしてみたのだがこんな経験誰しもがあったと僕は思う。
Facebookで
僕はFacebookをよく利用している。
あの日、あの時、で知り合った人と友達で繋がっていきどんどん増えていった。
それが右肩上がりになったというわけではない。
相手から友達をやめてしまうこともあった。
また相手がアカウント自体削除していたこともあった。
たまに自分のアカウントでどんな友達がいるかチェックしているが、リストから見てもあれっ無いと気がついていると解除されていた。
こうなると僕からは再申請はしない。
今までの僕ならば僕に落ち度があったんだと一方的な感情が沸き起こっていた。しかしそれは凝り固まった考え方に過ぎない。今ならば、相手がFacebookを使わなくなったのか、こちらも直にお会いする機会も無いしなと多面的に見ることができるようになった。
自分で選べる、自分でつくる。
そんな僕に自らOKを出せた。