決めては「AZ」って何だ? 〜インプット大全〜
『学び効率が最大化するインプット大全』
樺沢紫苑著、サンクチュアリ出版
精神科医であり作家の樺沢紫苑が手がけた最新本。
2019年8月に発売し、沖縄でも手に入れたので読んでみた。
この本が登場した背景とは?
インプットといえば何が思い浮かぶだろうか、テレビを見る、新聞を読む、スマホでネットニュースやSNSを見る、読書する、と挙げていけるだろう。
しかし従来どおりのインプットでは太刀打ちできなくなっていると樺沢氏は指摘する。
中でも
インターネット上のデジタル情報は、20年前と比べて5,000倍に増えているといわれています。
中略
テクノロジーが進化する今こそ、私たち一人ひとりが「インプット術」の革新を行わなければ、情報のインプットだけでヘロヘロになります。
ていう事態にすでになっているかもしれない。
内容は?
インプットとは何かから始まり、読む、聞く、見る、インターネット、習う、飛躍するに分けられさらにそれらについて詳しくやりかたが書かれている。
さて、本書のp32にて「AZ」というワードが登場する。目次だけでは?となるがこれはとても大事なことで、
アウトプット前提でインプットをする=AZと樺沢氏が表している意味なのだ。
これをすることにより「何となく」読む、聞く、見るより圧倒的に記憶に残りやすくなるのだ。
何故そうなるのかは是非本書を読んでみて。
僕も本書を読んだおかげで当ブログで記事を書いたのだが、書き表わし方が変わってくるのだろうか。
僕をはじめ何かしら書く、読む、見る人が一変する可能性がある一冊。是非読んでみて。
身もココロも
今日は予定していた行事の参加を取りやめた。
会場に到着するのが大幅に遅れ、今から入るのも敷居が高く感じてカラダが動かないというより動きたくなくなってしまったのだ。
もちろん行事の主催者には連絡を入れておいた。
僕はこの後どうしたいか。身体とココロの向きがバラバラになってしまった。
何もしたくない。
鬱状態だった。
しかし、この状態を延々と過ごしても意味がない。
近くのレストランでハンバーグステーキを注文していただいた。
その後僕のココロは回復した。
過去にあることをやらなかった後悔をしたことがある。そのとき別のことをすることで代わりに後悔を埋めていた。しかし埋まり具合は最初の予定していたよりは足りないのだ。
こんなことがあったわけでブログにしてみたのだがこんな経験誰しもがあったと僕は思う。
Facebookで
僕はFacebookをよく利用している。
あの日、あの時、で知り合った人と友達で繋がっていきどんどん増えていった。
それが右肩上がりになったというわけではない。
相手から友達をやめてしまうこともあった。
また相手がアカウント自体削除していたこともあった。
たまに自分のアカウントでどんな友達がいるかチェックしているが、リストから見てもあれっ無いと気がついていると解除されていた。
こうなると僕からは再申請はしない。
今までの僕ならば僕に落ち度があったんだと一方的な感情が沸き起こっていた。しかしそれは凝り固まった考え方に過ぎない。今ならば、相手がFacebookを使わなくなったのか、こちらも直にお会いする機会も無いしなと多面的に見ることができるようになった。
自分で選べる、自分でつくる。
そんな僕に自らOKを出せた。
自分を大事に。
久々にブログを更新する。
このブログの更新もしかり、僕のFacebookの更新もそうだけど、
ただ読むに尽きるだけになっていた。
そうなってしまった原因に思い当たる節があり、それは勤め先でかつて顔を合わせた先輩社員のことだ。
その社員とFacebookで友達として繋がり、交流していたのだが、転勤に伴い僕のところから離れていった。
その後、再び顔を合わす機会があったのだが、僕にこう言ってきたのだ。
「お前のFacebook(に投稿する内容)は固い!」
言われた側からしたらショックだった。
「だったら何すればいいんだよ!」
声にはしなかったが、これがもとでブログやFacebookでの投稿もしない日が続いてしまったのだ。
今になってみたらわかる。
日本の書家・相田みつをが書いた詩のなかに
『みんなほんもの』
という作品がある。
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トマトがねぇ
トマトのままでいれば
ほんものなんだよ
トマトをメロンに
みせようとするから
にせものに
なるんだよ
<後略>
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僕が経験してきたことは僕のことばで表せる。
しかし、そうでなければ借りてきたことばにすぎなくなる。
僕はこれからも僕のことばで表す。
マナーって何だ?
当ブログにて演劇を観てきたことを書いた。
そこでのことだが、
上演前に
携帯電話は電源を切るかマナーモードに設定してくださいと
アナウンスがあった。
もちろん僕はマナーモードに設定してズボンのポケットに入れておいたのだ。
しかし上演中にとんでもないことが起こってしまった。
ひとりの観客が持っていた携帯電話から着うたが流れ出していたのだ!
あれほど案内していたのに、、、。
こんな行為は上演している作品の世界観をぶち壊していることに気がつかないのか?
僕は過去に東京でも演劇を観に行ったことがあり、そこでは入場する前に観客の手荷物をひとつずつ開けてチェックしていたのだ。
当然携帯電話の電源を切るように劇場スタッフから指示を受けていた。
そうなると、沖縄でもそういう取らざるを得なくなるのではとよぎる。
マナーとは時と場所において周りの人たちに対してどう振る舞うか問われるものだと僕は思う。
そこには周囲に不快な思いにさせないことは言うまでもない。
人生初、『島守のうた』2日連続観たら。
翌日再びこちらに訪れた。
同じく『島守のうた』
僕は同一作品を2日連続観たらどうなるかと。
内容や感想は初回観たときの内容を書いているのでhttp://nagaokazu54.hateblo.jp/entry/2019/06/22/225355
↑そちらに譲るとして。
追体験を重ねた結果、
より悲しさが深くなり、より辛さも強く感じるようになり、登場人物たちも細かに見られて、僕も強く受け止められるようになった。
しかしそのため帰りの足取りは重たかった。