観戦記 プロ野球オープン戦 広島ー阪神戦①
2020年2月23日日曜日。
僕は沖縄市にあるコザしんきんスタジアムに足を運んだ。
こちらでは広島東洋カープが例年2月中旬から末まで春季キャンプが行われているのだが、この日はオープン戦広島対阪神戦が行われた。
僕はというと前売り券を買い損ね、現地で当日券を買うことにした。
当日券売り場はどこだ?
なかなか目につかない。係員に話を伺うと球場周辺の通路をぐるっと回った先にあるとのこと。
歩いて5、6分ぐらいだろうか当日券売り場を発見。
本当に目立たないところにあった。
無事に当日券を購入して客席へ、入口はコロナウイルス対策として消毒液が用意されていて客席へ。
日曜日でもあって子供たちが多く観戦に訪れていた。
内野席は座ると腰を包み込む設計になっており、長時間座っても疲れにくかった。
グラウンドでは広島、阪神の選手たちがウオーミングアップを行なっていた。
そうしていくうちにスコアボードにはスタメンが発表された。
(その②へつづく)
観戦記 プロ野球オープン戦 中日ー阪神戦
2020年2月22日土曜日、
内野席はすでに完売していたため外野席をとった。
椅子はなく全面芝生だ。
そのおかげで昨季盗塁王の近本光司選手を間近で見ることができた。
今回の試合は新型コロナウイルス観戦拡大防止のためジェット風船の使用はご遠慮くださいと場内アナウンスの発表がされた。
試合が動いたのは2回表・阪神の攻撃。
2アウト走者1塁でキャッチャー坂本誠志郎がレフトスタンドに2ランホームランを放ち2点先制。
阪神ファン・応援団は大喜び。
だが、その裏・中日の攻撃でライト平田良介の打球が左中間ソロホームランとなり1点を返す展開となった。
このときのホームランは僕が観戦していたところから目測で2メートル離れた場所にボールが飛んできたのでヒヤリとした。
その後3回の表にはマルテのレフトスタンドに突き刺す2ランホームランに坂本誠志郎にタイムリーヒットがでて5ー1に。
4回表には近本光司がライトスタンドにソロホームランが飛び出して6−1と点差を広げることに成功した。
ただその裏で平田良介のタイムリーヒットがでて6−2となったが、その後両チームとも得点が入らず、そのまま阪神の勝利となった。
僕が印象に残ったのは9回裏・中日の攻撃。
この時阪神の投手は岩貞祐太で中日の打者は根尾昂の場面。1塁側から「かっ飛ばせ根尾」の応援が出たのに対し僕がいた場所では「あとひとり、あとひとり」めちゃくちゃ対照的だった。
掛布雅之新春球談 参加記
2020年1月11日僕は大阪にいた。
場所はグランキューブ大阪
ここで『ミスタータイガース掛布雅之新春球談』と銘打ってトークライブが行われた。
進行役は土井麻由実さん。
フリーアナウンサーとして活動する傍らサンケイスポーツでコラムの取材・執筆も行っている。
そして開始時間を迎え、掛布雅之さんのご登場となった。
現役時代、1985年阪神タイガースが日本一になった時の四番打者でもあり、引退後は野球解説者を経て阪神オーナー付打撃コーディネーター、ファーム監督、シニアエグゼクティブアドバイザー(SEA)を務められた。
僕は直にお会いするのはこれが初めてだった。
この時僕が気になっていた点があった。
2020年はどのお立場になられるのか?
事前に報じられていた通り、SEAは2019年をもって契約満了となったのだが、ことしは球団のオーナー企業である阪神電鉄と契約を結ぶ運びとなり近々正式に発表されると掛布氏本人から語られた。
またテレビ、ラジオでのプロ野球解説や、講演活動も制限なく行えるようになるので掛布氏をお目にかかる度合いはより多くなるのは確実となるようだ。
トークの内容は2019年シーズン開幕からシーズン後半途中までスタメン四番を務めた大山悠輔選手のことから始まり、ことし新たに入団した新外国人選手や、藤浪晋太郎投手のことまでトークが展開され
僕からするとこれまで見えてこなかった部分が明らかにされたため驚きを隠せない内容だった。
トークが終わった後参加者に対してプレゼント抽選会が開かれた。
掛布氏直筆サイン入りのオリジナルカレンダーに球団カレンダー、色紙に、ユニホーム、さらに木製バットも登場していたが、僕はというと全部ハズレてしまった。
僕はこの場に参加することができて本当によかった。
山田雅人『かたりの世界』鑑賞記
2019年10月23日僕は再びこちらを訪れた。
その10階にあるボールルームにて、山田雅人『かたりの世界』を見てきたのだった。
『かたりの世界』は今から10年前の2009年に山田が最も得意とする「架空競馬実況」を聞いた放送作家の高田文夫に競馬だけでなく他の人を取り上げて作品を作れと言われたことがきっかけだった。
そして作品を作る際にその人物および関係者を取材を行い最初に完成した作品が『長嶋茂雄物語』だった。それをマイク一本で何も見ずに山田が語り尽くす形で日本全国各地で行われており、これまでに披露した作品は120本にものぼる。
しかし山田の出身地である大阪ではなかなか行われる機会が無く、2018年4月にABCラジオ『ドッキリ
ハッキリ三代澤康司です』の火曜日パートナーになったのを機にその年の10月に初めて大阪で『かたりの世界』が行われたのだった。
僕はradikoプレミアムに加入しているため、全国のラジオ番組を聴くことができるのだ。それがきっかけでこの『ドッキリハッキリ三代澤康司です』を聴き続けていると、このことが開催されることを知り、沖縄でチケットを購入して、休みを取って大阪まで行ったわけである。
第一話『甲子園バックスクリーン3連発』
タイトルは事前に知らされていたので、僕はそれが起きた1985年4月に行われた対巨人戦でスタメン出場だった阪神のバース、掛布、岡田の当時3選手に取材を行いその当時の心境を含めて語っていくのかと予想をしていた。
しかしそれが覆されてしまった。1979年まで遡り、掛布が当時巨人の投手だった江川卓からプロ入り初となるホームランを放ったことから話しは始まった。
掛布は左打者だったのだが、それは千葉・習志野高校の野球部に在籍した父親からの指導によるものだったのだ。
紙礫(かみつぶて)をボール状にして掛布の父親が投げ、それが掛布がスイングしたバットの芯に当たるとパッと開く練習をしたり、食事の時は箸を左手で持っていたというエピソードを披露されていた。
掛布が阪神に入団した1973年当時の4番打者は田淵幸一だった。しかし、田淵は1979年に西武に移籍し阪神から去ってしまうことになる。その田淵から掛布に対して、四番打者はひと振りで試合を決める力をもつ、それはおまえならできると。
それから1985年になり、阪神はかの甲子園バックスクリーン3連発をはじめ快進撃を続けてセリーグ優勝を決め、日本シリーズの対戦相手は西武だった。
当初下馬評は西武が圧倒的に多かった。
しかし、ふたを開けると阪神が日本一になったのだった。
山田雅人の実況口調によるかたりは、観客達をどうなるんだろうと一瞬ドキドキさせてくれてさらに物語に引き込ませていくのだ。
第二話『松下幸之助物語』
休憩のあと第二話へ、言わずと知れたパナソニックの創業者の生い立ちから亡くなるまでの内容にした作品を披露された。
パナソニックの創業の地が大阪・福島だったことは僕は初めて知った。
内容に対して会場内はすすり泣く音があちこちから聞こえていたが僕もそのひとりで涙が出てきた。
2本とも山田雅人だからできたと感じさせる内容で
「作品は僕だけでなく、観客達も加わって初めてできるのです。」と話されたことにはまさにそうだなと感じた。
iPhoneで起きたこんな事態
僕はiPhoneユーザーだ。
何度も起動してサイトチェック、メールチェックを行っているが、こんなことが起こった。
iPhoneを起動すると、パスコードを入力という画面が現れるのだが、
画面上にある数字のパネルボタンがすべて反応しなくなったのだ。
何度も試してみたがパネルボタンが押せない。
困ったな。
いろいろ思案していたが、音声入力を試してみた。
「パスコードを入力したい。」とiPhoneに吹き込むと、
「すみません。暗証番号は教えることができません。」
と返ってきた。しかしそこからで再びパスコード入力画面に戻り、番号パネルボタンに指を触れると、
入力できた。
やっとロック解除ができた。
ここまでに至るまで何故そうなったのか、奇怪だ。