身もココロも

今日は予定していた行事の参加を取りやめた。

 

会場に到着するのが大幅に遅れ、今から入るのも敷居が高く感じてカラダが動かないというより動きたくなくなってしまったのだ。

もちろん行事の主催者には連絡を入れておいた。

 

僕はこの後どうしたいか。身体とココロの向きがバラバラになってしまった。

 

何もしたくない。

鬱状態だった。

 

しかし、この状態を延々と過ごしても意味がない。

近くのレストランでハンバーグステーキを注文していただいた。

 

その後僕のココロは回復した。

 

過去にあることをやらなかった後悔をしたことがある。そのとき別のことをすることで代わりに後悔を埋めていた。しかし埋まり具合は最初の予定していたよりは足りないのだ。

 

こんなことがあったわけでブログにしてみたのだがこんな経験誰しもがあったと僕は思う。

 

 

 

Facebookで

僕はFacebookをよく利用している。

 

あの日、あの時、で知り合った人と友達で繋がっていきどんどん増えていった。

 

それが右肩上がりになったというわけではない。

 

相手から友達をやめてしまうこともあった。

また相手がアカウント自体削除していたこともあった。

 

たまに自分のアカウントでどんな友達がいるかチェックしているが、リストから見てもあれっ無いと気がついていると解除されていた。

 

こうなると僕からは再申請はしない。

 

今までの僕ならば僕に落ち度があったんだと一方的な感情が沸き起こっていた。しかしそれは凝り固まった考え方に過ぎない。今ならば、相手がFacebookを使わなくなったのか、こちらも直にお会いする機会も無いしなと多面的に見ることができるようになった。

 

自分で選べる、自分でつくる。

 

そんな僕に自らOKを出せた。

 

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自分を大事に。

久々にブログを更新する。

 

このブログの更新もしかり、僕のFacebookの更新もそうだけど、

 

ただ読むに尽きるだけになっていた。

 

そうなってしまった原因に思い当たる節があり、それは勤め先でかつて顔を合わせた先輩社員のことだ。

 

その社員とFacebookで友達として繋がり、交流していたのだが、転勤に伴い僕のところから離れていった。

 

その後、再び顔を合わす機会があったのだが、僕にこう言ってきたのだ。

 

 

「お前のFacebook(に投稿する内容)は固い!」

 

 

言われた側からしたらショックだった。

 

「だったら何すればいいんだよ!」

声にはしなかったが、これがもとでブログやFacebookでの投稿もしない日が続いてしまったのだ。

 

今になってみたらわかる。

 

日本の書家・相田みつをが書いた詩のなかに

『みんなほんもの』

という作品がある。

 

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トマトがねぇ

トマトのままでいれば

ほんものなんだよ

トマトをメロンに

みせようとするから

にせものに

なるんだよ

 

<後略>

 

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僕が経験してきたことは僕のことばで表せる。

しかし、そうでなければ借りてきたことばにすぎなくなる。

 

僕はこれからも僕のことばで表す。

 

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マナーって何だ?

当ブログにて演劇を観てきたことを書いた。

 

そこでのことだが、

 

上演前に

 

携帯電話は電源を切るかマナーモードに設定してくださいと

 

アナウンスがあった。

 

もちろん僕はマナーモードに設定してズボンのポケットに入れておいたのだ。

 

しかし上演中にとんでもないことが起こってしまった。

 

ひとりの観客が持っていた携帯電話から着うたが流れ出していたのだ!

 

あれほど案内していたのに、、、。

 

こんな行為は上演している作品の世界観をぶち壊していることに気がつかないのか?

 

僕は過去に東京でも演劇を観に行ったことがあり、そこでは入場する前に観客の手荷物をひとつずつ開けてチェックしていたのだ。

 

当然携帯電話の電源を切るように劇場スタッフから指示を受けていた。

 

そうなると、沖縄でもそういう取らざるを得なくなるのではとよぎる。

 

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マナーとは時と場所において周りの人たちに対してどう振る舞うか問われるものだと僕は思う。

そこには周囲に不快な思いにさせないことは言うまでもない。

 

 

人生初、『島守のうた』2日連続観たら。

翌日再びこちらに訪れた。

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同じく『島守のうた』

僕は同一作品を2日連続観たらどうなるかと。

 

内容や感想は初回観たときの内容を書いているのでhttp://nagaokazu54.hateblo.jp/entry/2019/06/22/225355

↑そちらに譲るとして。

 

追体験を重ねた結果、

 

より悲しさが深くなり、より辛さも強く感じるようになり、登場人物たちも細かに見られて、僕も強く受け止められるようになった。

 

しかしそのため帰りの足取りは重たかった。

 

1年ぶり『島守のうた』鑑賞記

2019年6月22日土曜日

 

浦添市てだこホール小ホールにて舞台劇『島守のうた』を観てきた。

 

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『島守のうた』とは、1945年第二次世界大戦末期の沖縄で県知事として指揮を執った島田叡(あきら)と県警察部長の荒井退蔵の二人について史実に基づいて描いた作品。

 

2018年3月に那覇市で初演を行い、今度は浦添平和発信事業の一環で再演となったのだった。

 

あらすじ

 

外は雨、ひとりの老年男性がラジオを点けると、『ラジオ放送演劇〜アダンの島』が始まった。

そこで沖縄県知事島田叡の名を耳にする。男性は当時沖縄県庁に勤めていた島田の元部下だった。しかしラジオからは事実と異なる内容が流れため男性は怒りを覚えてしまい本当に起こったことについて後世の人たちに伝え知らせるために、回想し書いていくことにした。

 

鑑賞して

 

島田叡、荒井退蔵両名の人柄はもちろん沖縄県民に対して相当尽くしていたことが良く理解できるように描かれており、今回から新たに島田が県知事就任前の知事の様子も登場したので、リーダーとは誰がなるかで荒井退蔵の受け止め方もこうも違ってくるのかと思わずにいられなかった。

さらに島田叡が部下たちに「君たちは生きろ!」と諭していたことには御国のためには自らの命も厭わずという教えが浸透していた時代に反して後のことを見据えていたのかと僕にとっては改めて驚いた。

また、当時の日本兵が住民に対して行ったこと様子は蛮行そのもので僕も怒りを禁じ得なかった。

場内からは鼻をすする音が響き渡り改めて戦争に巻き込まれる悲しさが伝わってきた。

 

沖縄戦が終わって長い年月が経ち、当時経験した人たちがどんどん少なくなっていく。そんな中で沖縄戦の様子を今回演劇で表現するのは後世に伝えていく有力な手段だと僕は考える。今後は沖縄各地はもちろんのこと、日本各地でも行われていくようになればと願う。