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映画『沖縄を変えた男』鑑賞記

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2016年から観たいなと思っていた映画をやっと観ることができた。

沖縄県庁前にある商業施設パレットくもじ9階にある映画館で、

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『沖縄を変えた男』を見てきた。

 

主演のゴリ(ガレッジセール)扮する栽弘義(さいひろよし)が琉球水産高校野球部監督になり、部員たちをしごきながら甲子園を目指す内容だ。

 

栽弘義(さいひろよし)とは

1941年沖縄県糸満市生まれ。糸満高校中京大を卒業後1964年に野球部監督として小禄高校に赴任。その後豊見城高校、沖縄水産高校と赴任をし、沖縄水産高校で監督をしていた1990年、1991年夏の甲子園で2年連続準優勝を果たした。2007年65歳で逝去。

 

 その栽弘義の生涯やエピソードを家族や選手たちから聞き取りを元に松永多佳倫氏が『沖縄を変えた男 栽弘義-高校野球に捧げた生涯』という本を書いてこれを原作にしている。

 

作品を観て

選手たちを甲子園に連れていくために栽弘義がとったこととは、徹底したスパルタ指導だった。(今となっては問題行動となるのは必至かもしれないが)

在籍選手でグラウンド整備、新入選手が入部してくるとそれまでの選手たちを強制退部させ、寮生活を送ることに。選手が栽に意見をするなら容赦なくビンタが飛ぶ。トレーニング、練習を積み重ねていき甲子園進出常連校、首里学園と対戦する。

 

作品にも描かれていたのだが、栽弘義は4歳の時に沖縄戦に遭遇。その際に焼夷弾が栽の背中にあたり大火傷を負った。その暗い時期を背負いながらも沖縄の「戦後」が終わると言われていたひとつが沖縄の高校が甲子園で優勝することだったのだ。

 僕が思うには、栽は選手たちに実力の現在地を指し示していてのではなかっただろうか。そして甲子園で優勝するためには他府県の高校に勝ち続ける必要がある。そのためには激しい指導を行なっていくことが必要だったのではないだろうか。

 

結末まで見終わって、エンドロールが流れてくる時のBGMを聴いたとたん、僕は涙が止まらなかった。

 

 

最後に

ガレッジセールのゴリは左投げ右打ち。

食事のシーンはなかったが、ボールを糸で縫いつけるシーンは左手で塗っていた。

あと、選手たちをビンタするときも左手だったな。